第3話

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 馬を引きながら、兵士や騎士たちの間を危なっかしい足取りですり抜けていく。
 並んで聳え立つ二つの尖塔に見下ろされただだっぴろい広場は、人間と馬でごった返していた。ざっと百人はいる。
 そういえばさっきの騎士は入隊式に出るんだろうか。
 エルゼリンデは頭の片隅でぼんやり男の顔と言葉を思い返しながら、慣れない鎧を鳴らしてあちらこちら徘徊する。
 しばらくしてようやく目的の場所を発見した。
 兵舎の壁沿いに並べられた木製の長机の許へ、彼女は人ごみに萎縮してしまった牝馬を何とか引っ張っていく。
 机に座った官吏の目が、目の前の新たな入隊者に向けられた。一瞬、エルゼリンデの体に緊張が走る。
「お名前を」
 促され、声が震えないよう気をつけながら口を開いた。
「マヌエス・ヴァン・イゼリア子爵の嫡男、ミルファーク・ヴァン・イゼリアと申します」
 入城の時と同じように名乗り、子爵家の紋章と徴兵通知を差し出す。それを確認した官吏は、帳簿を捲ってエルゼリンデの前に提示した。
「それではこちらにご記名を」
 彼からペンを受け取ったエルゼリンデは、慎重に、細心の注意を払って兄の名前を記入した。官吏は疑いをいだく風でもなく記された名前を確認すると、目で双塔の方向を指した。
「馬は、あちらの厩に預けておいてください」


 馬を荷物ごと預けて多少は身軽になり、エルゼリンデは人ごみを避けて演習場の片隅に移動した。そのまま所在なげに演習場の様子を眺める。
 ここが「東の双塔」と呼ばれる、王国屈指の精鋭、黒翼騎士団の拠点。
 今日この場に集まっているのはほとんどが黒翼騎士団以外の人間で、貴族ばかり。今回のネフカリア遠征はかなりの規模になるようで、新規に入隊を募ったのだと父は語っていた。それにミルファークも無理矢理組み込まれたとも。新たに集まった志願者達は入隊の申請をして、入隊式で騎士として迎え入れられる。この式典には有力な将軍達に混じって国王も参列する予定だという。
 エルゼリンデは深いため息を吐き出した。
 途中道に迷いはしたものの、ここまでは何とか順調に来ている。ちょっと冷やりとしたことはあったけど。だけど、問題はこれからだ。なんせ、甲冑もろくに着たことのない自分が、これから戦場に赴くのだから――この、ライツェンヴァルト王国のために戦う、騎士の一人として。
 エルゼリンデは腰の辺りに手を当てた。荷物から取り出した剣が下げてある。
 どきどき胸が高鳴って、思わず身震いする。
 父には言わなかったが、エルゼリンデは騎士というものにちょっとした憧憬を懐いていたのだ。7、8歳の頃の名も知らぬ騎士との出会いが、その根底にある。
 ふと、エルゼリンデは剣の具合を確かめようと、柄にかけていた手に力を込めた。その時、
「おいおい、気の早い奴だな。剣を抜くことになるのはまだ先の話だぞ」
 揶揄の混じった声が耳を打つ。びっくりして顔を上げると、視線の先にはやはり甲冑を着込んだ、同年代くらいの騎士の姿。
 エルゼリンデ同様、兜は着けていないため赤茶色の短髪が剥き出しになっている。中背で痩躯ではあるものの線は細くない。顔立ちはわりと整っているが、まだガキ大将めいた荒っぽい雰囲気を漂わせている。むろんのこと、知らない顔だ。というより貴族の知人などほとんどいないから、知らなくて当然ではあるが。
 その少年騎士は視線を上下させてエルゼリンデを一瞥すると、ひょいと肩をすくめてみせた。
「にしてもお前、随分小さくてひょろっこいガキだな。いくつ?」
「じゅ、16です」
 どぎまぎしながらも、何とか兄の年齢を口にできた。言い終わるなり少年が黄土色の目を見開く。
「16!? なんだ、オレと同い年かよ。お前、もっと食ったほうがいいぞ。それとも食うのに困るほど家が貧乏なのか?」
 貧乏って。エルゼリンデは急に声をかけられた驚きも冷め、むっとした。
「た、確かに家はビンボもビンボ、貧乏もいいとこですけどっ! でもだからって食べるのに困るほどではありません」
 そう、貧乏なのは否定できない。だけど父は生活に困らないよう、身を粉にして働いてくれているのだ。それなのによくもそんな無神経なことが言えたな。言外にそんな思いを込めて反論する。
「ああ、そりゃ失礼。ま、オレも他人のこと言える立場じゃないけどな」
 少年は自嘲気味に微笑し、日焼けした頬をばりばりと掻いた。
「ってことはあれか、お前も今回の遠征で一山当てに来た口か?」
 少年の両目には期待と野心が躍っている。武門出身でなく、名門でもない貴族の子弟で気概のある者は、騎士団に入るなり、こうした戦時に馳せ参じるなりして立身出世を試みるのだ。彼女の兄ミルファークのように虚弱だったり軟弱だったりするようなら、駄目だけれど。
「ええ、まあ、そうです」
 エルゼリンデは若干口ごもったものの、こくりと肯いた。騎士団で出世するつもりは毛頭ないが、手柄をあげて功労金を貰おうという計画は立てている。嘘はついてない。
 彼女が首肯すると、途端に少年の顔に親しみの笑顔が広がった。
「そうか。じゃあこの先ライバルってことだな。ま、お前みたいなひょろくて女みたいな顔した奴なんかに負ける気はしないけどさ」
 あまりにからりとした物言いで、エルゼリンデは怒る気を殺がれてしまった。女という単語に、内心ぎくりとしたけれども。
「お、女みたいで悪かったですね! こっちだってあなたみたいな、頭の中に蛇とカエルが詰まってるような人には負けませんから!」
 つい語気を強めて言い返したのは、彼女の負けん気のせいだ。
 少年も立腹するどころか、逆に声を立てて笑い出した。予想外の反応に、エルゼリンデは藍色の瞳を瞠って、腹を抱えて笑う鎧姿の少年を凝視してしまった。
 少年は笑いを引っ込めると、改めてエルゼリンデと向かい合った。
「お前、面白いな、気に入った」
 そう言って、革製のグローブに包まれた手をエルゼリンデの前に突き出してくる。
「オレはザイオン・ヴァン・ホープレスク。まだ相続していないけど、爵位は一応男爵」
 エルゼリンデは目をぱしぱし瞬かせたあと、半ば脊椎反応でその手をへんにゃりと握り返した。
「…あ、ええと、私はミルファークです。イゼリア子爵家の嫡子です、とりあえず」
「よろしくな、ミルファーク」
 ザイオンと名乗った少年は、口は悪いし無神経だが随分と気さくで、その邪気のない笑顔にエルゼリンデは少なからずほっとした。先程の黒い騎士が放った不当な扱い云々が心に引っ掛かっていたが、こういう男がいてくれれば安心だ。年齢だって離れていないし。
「こっちこそよろしく」
 すっかり警戒心を解いた彼女は、にっこり笑って握った手にほんの少し力を込めた。


 ラッパの音が高らかと広場に響き渡ったのは、ちょうどその直後のこと。
「入隊式が始まるぞ」
 ザイオンの声が弾む。エルゼリンデも広場の中心に視線を移した。片方の塔の入り口から中心には、いつの間にか赤い絨毯が敷かれている。その両端に、官吏と騎士たちがずらりと並ぶ。
 うわー。エルゼリンデは胸中で感嘆の声をあげた。宮廷行事になど縁も所縁もない彼女にとって、こうした式典は初めてかつ新鮮だった。
 広場の至るところから、どっと歓声があがる。
「見ろよ、国王陛下だ」
 隣のザイオンに促され、塔のテラスを見上げた。
 テラスの中心に佇む、やたら豪華な衣装を身にまとった人物が国王だろう。その周りに十人ほどの文官、武官が控えている。
「あ」
 エルゼリンデはそのある一点で目を留めた。顔のつくりまでは視認できないが、黒衣をまとう長身の男に見覚えがある。ついさっき道案内をしてくれた人ではないか。
「どうした?」
 役人がなにやら演説している中、ザイオンが声を潜めて訊ねてくる。エルゼリンデも小声で、こっそりテラスの一点を指さした。
「あの人は?」
 ザイオンの視線が白い指先を手繰り、先にいる人物を確認する。その黄土色の目がいっぱいに見開かれた。
「お前、知らないのか?」
 心底意外そうに訊き返され、エルゼリンデは無言で肯く。
「どこの田舎モンだよ……」
 呆れた呟きが耳に入ってむっとしたが、言い返すのは後回しにしておく。
「あれが黒翼騎士団の団長で陛下の弟君。アスタール・クロイツファルト・ヴァン・ドストニエル王弟殿下っつったら、国一番の有名人じゃないか。やっぱ格好いいよなあ」
 さっきの変な人が王弟殿下!?
 エルゼリンデは驚きのあまりひっくり返りそうだった。王弟殿下と言われれば、彼女だって知っている。怖そうだとは思っていたが、そんな凄い人に遭遇して、よもや道案内をしてもらうとは。
 ザイオンのほうは、テラスに集う面々に夢中でエルゼリンデの動揺に気がつかなかった。さらに王弟殿下と反対の方向に指と視線を向け、エルゼリンデに囁きかける。
「で、反対側にいるのが緑翼騎士団長のルスティアーナ・ヴァン・ヴィーラス将軍。女だてらに騎士団長ってだけでも信じられないのに、もの凄い美人」
 ルスティアーナの名前も、エルゼリンデはよく知っていた。美貌と才気溢れる女将軍。ここからだと風に靡く黄金色の髪と白銀の甲冑に包まれたすらりとした身体しか見えないが、佇まいだけでも美しさが伝わってくる。
 ザイオンは男だから王弟殿下のほうに憧れるのだろうが、エルゼリンデは年頃の少女だからか、あんな風になれたらなあと、颯爽とした美貌の女将軍に憧れるのだ。
 ――だけど、所詮は雲の上の人たち。
 地上とテラスの位置と同じくらい、身分に差がある。さっきのは思いがけない幸運で、もう関わることもないだろう。
 この時のエルゼリンデはそう信じて疑わなかった。

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