第4話

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 がんがんがんがん!
 バケツを棒で思い切り叩いたような騒音が、兵舎中に響き渡る。
「ひゃあ!」
 突然の大きな音に驚き、エルゼリンデは跳ね起きた。
 そこは見慣れない簡素な室内。藍色の双眸を2度瞬かせて、昨日の入隊から兵舎暮らしが始まったことを思い出す。
「……朝っぱらから女みたいな悲鳴あげるなよ」
 ふと、横から眠気を引きずった声が届く。そちらに首をめぐらせると、隣の寝台からのそりと赤茶色の髪の少年が起き上がった。
「おはよう、ザイオン」
「はよ」
 ザイオンは眠気を追い出すように頭を何度か振っている。
 彼と同室だったのは、エルゼリンデにとって幸運だった。見ず知らずのむさくるしい男とよりは、ずっといい。それに二人部屋というのも、女であることを隠している身としてはわりと好都合だ。着替えなどは相手が部屋を出ている間にできるし。まあ本当はひとりが一番良いのだけど、大貴族でもあるまいし、そんな厚遇、受けられるはずがない。
 細心の注意を払いながら、それでも素早く身支度を整えて食堂へ向かう。常に早めに行動しておいたほうがいい。ザイオンはここへ来る前、軍隊経験のある祖父にそう忠告されたのだとか。
 朝食は白パンにスープ、野菜と羊肉を蒸したもの。質素だが量がとんでもなく多い。
「お前、ひょろいんだからちゃんと食えよ」
 隣に座ったザイオンは、彼女を茶化しながら勢いよく目の前の皿を空にしている。エルゼリンデはちょっとむっとして、ザイオンに負けじと白パンを掴んだ。
 どうにかこうにか皿をきれいにしたところで、怒号が耳を劈いた。
 エルゼリンデは目を瞠って声のした方向を見やる。二つ向こうのテーブルで、古参の騎士が新入りの若者を怒鳴りつけているところだった。どうやら食事を残したことを咎めているらしい。殴られたのか、テーブルに突っ伏した若者の頭髪を騎士が掴んで引き起こし、強引に口の中に羊肉を突っ込んでいる。
「うわあ」
 残さず食べてよかった。若者の仕打ちを目の当たりにしたエルゼリンデは、蒼ざめつつそう思った。


「ああいうの、やっぱりいるもんなんだな」
 ザイオンがぽつりと呟いたのは、朝食を終え部屋に戻ってきてからだった。
「ああいうの?」
 鎧を身につけながら、エルゼリンデは首を傾げる。
「ほら、さっき食堂にいた奴。あいつ、多分平民出身だよ」
「知ってる人なの?」
「アホか。そうじゃなくて、いるんだよ。オレらみたいな新入りに嫌がらせする平民出身の騎士がさ」
「平民が、貴族に?」
 エルゼリンデは意外そうな声をあげた。
「よくある話らしいぞ。劣等感っつーの? よく分かんねえけど。軍内じゃ貴族平民じゃなくて、上下関係が物を言うわけだし。名門出身相手には、さすがにそこまでしないだろうけどな」
 不当な扱い。昨日の、王弟殿下の言葉がまたエルゼリンデの脳裏をかすめていった。
「それにオレらは名門の奴からはまた違った意味で差別されるんだろうし。祖父さんが言ってたとおり、結構きつそうだよな。まあ、王弟殿下が黒翼騎士団長になってから少しは改善してるって言うけどさ」
 ザイオンは言葉とは裏腹に、喜々として甲冑の紐を結んでいる。
「だけどミルファークみたいな、ひょろくて女のような顔してる奴は目立ちそうだからな。用心するに越したことないぜ」
 その発言を聞いて、エルゼリンデは蒼くなると同時に、やっぱり兄さんの代わりに自分が入隊してよかった、とも確信した。優しいけど繊細すぎる兄には、ここでの生活やそのあとに待ち受ける戦いに到底耐えられないだろう。
 ――ここはひとつ、私が頑張らなきゃ。
 エルゼリンデは改めてそう決意したのだった。




 ライツェンヴァルト王国が誇る王立騎士団は、全部で12。うち第一騎士団から第七騎士団までは王都ユーズに常駐し、残りは国境や要衝に配属されている。騎士団はいわば王国を支える巨大な支柱であり、騎兵は歩兵や砲兵よりも、男に生まれてきたからには一度ならず憧れるであろう花形の職業だ。
 エルゼリンデが配属されたのは、第三騎士団だった。縁があるのか、ザイオンも同じ配属だ。
「どうせなら第一がよかったな。新入りは到底無理だけどさ」
 演習場に向かう道すがら、ザイオンがぼやく。
 精鋭揃いの第一騎士団は黒翼騎士団の通名で呼ばれる。ちなみに対となる緑翼の名を冠するのは第七騎士団で、それぞれ黒鳥と豊かな樹木が由来だという。この二つはライツェンヴァルトを象徴するシンボルでもある。
「私は第七がよかったな」
 エルゼリンデがぽつりと返す。どうせなら、団長が女性のほうが気分的に少しは楽なんじゃないかと思ったうえでの言葉だったのだが、ザイオンは別な風に解釈したらしかった。
「おいおい、それってルスティアーナ様目当てか? 女みたいな顔してるくせに、結構抜け目ないな」
 ニヤニヤしながら、肘で小突かれる。
「ち、違うってば!」
 エルゼリンデは思わずムキになって反論した。
 そんな、これから戦場に向かう者とは思えぬやりとりを交わしながら演習場に入る。ネフカリアへの行軍はひと月後。それまで新兵は毎日訓練を受けなければならないのだ。
 演習場には既に30人ほどが集まっていた。彼らも第三騎士団配属になるのだろう。先輩騎士がいないせいか場は和やかで、ただの社交場のような空気が漂っている。思ったよりも平和だな。壮絶なまでに殺伐とした雰囲気を想像していたエルゼリンデは、何だか拍子抜けしてしまった。隣のザイオンも彼女と似たような表情を浮かべている。
 彼らの中に溶け込むこともなくそのまま佇んでいると、
「――あいつら、やる気ねえな」
 棘の含まれた声が背中にぶつかった。エルゼリンデとザイオン、二人同時に背後を振り向く。視線の先にいたのは、甲冑姿の若い男。中背で痩身のザイオンよりもさらに細く、決して騎士として恵まれた体格とは言えないものの、幾度も死線を潜り抜けてきた、歴戦の戦士の風格が感じられる。
 その騎士は、声なく凝視している二人の新米騎士を一瞥した。
「お前らは、まだマシなほうだな」
 彼の一言で、まずザイオンが弾かれたように姿勢を正し、騎士の礼をとる。それを見たエルゼリンデが慌ててザイオンに倣った。
「貴族のお坊ちゃんにしては、まあまあ分かってるじゃねえか」
 男は褐色の目を細めてにやりと笑い、二人の間をすり抜けて演習場の中央へ歩いていく。
「整列!」
 鋭い声が、弛緩した空気を引き締める。
 ザイオンはきびきびと、エルゼリンデはあたふたとその号令に従った。有無を言わせぬ迫力が、彼の声にはある。そういえば昨日の王弟殿下もこんな感じだったな。エルゼリンデは気をつけの体勢でそんなことを考える。
「そこ、何やってる! ここはお前らのサロンじゃねえ!」
 動きの鈍い集団に対し、騎士の怒号が飛ぶ。迫力満点で、怒られていないはずのエルゼリンデまで震えあがってしまう。
 そこへ、若い騎士に続いて続々と騎士たちが到着する。最後に現れたのは、護衛数騎を伴った、濃緑色のマントを身につけた将軍だった。年齢は40代くらいだろうか。頭髪のない禿げ上がった頭、口元の髭、岩のような巨躯と、将軍というより盗賊の頭目と言われたほうが納得する風貌だ。
 将軍は騎乗したまま、整列した新米騎士たちの前にやってくる。
「私が第三騎士団団長オールト・ヴァン・ゼルヘルデンだ。歓迎するぞ、若輩者ども」
 ゼルヘルデン将軍は薄い笑みを浮かべながら、新参者たちを見下ろす。嫌な感じだなあ、とはエルゼリンデの第一印象だ。
「今から各分隊に振り分ける。分隊長に従って訓練に移れ」
 先程の若い騎士が再び鋭い声を張り上げる。
 エルゼリンデが振り分けられたのは、レオホルト隊長の分隊だった。
「ザイオンとは別なんだ」
 ザイオンの姿は、あの恐そうな騎士のいる分隊にある。
「これから君たちは私の指示に従って動いてもらうことになる。作戦によっては変更もありうるが、基本的に訓練の間だけでなく、戦場でもこの編成だ。そのことを心してもらいたい」
 レオホルトと名乗った隊長が、エルゼリンデらに告げる。温和な口調同様、物腰も穏やかそうだ。端整な顔立ち、白い肌にエメラルドグリーンの双眸、腰まで届く金髪をひとつに束ねた、典型的な貴公子。さぞかし貴婦人がたを魅了するであろう。
 怖そうな雰囲気はないからか、周りの同僚たちにも安堵の表情が窺える。運が良かったかな。エルゼリンデもほっとして、うしろでひとつに括った亜麻色の髪束に触れた。
 もともと背中まであった長い髪。それは入隊にあたってばっさり切ってしまいたかったのだが、父に泣きながら止められたのだ。「髪は女の命だ」とか「死んだ母さんに顔向けできない」とかなんとか言われて。結局、兄ミルファークと同じ肩口までの長さで留めおかれた。ひとつに括っているとはいえ、よりいっそう疑いがかかりそうで嫌だったのだが、レオホルト隊長の容姿を目にして少しは気持ちが軽くなった。
 エルゼリンデは人柄うんぬんよりも、何より髪の長い騎士がいた、ということにほっとしたのだった。

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