第15話

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 ラッパの甲高い音色が、蒼天へと吸い込まれていく。
 巨大な城門の内と外にはすっかり人だかりができていた。それらはこれから戦地に赴く騎士たちであり、もう一方は彼らを見送る側。
 その群れに紛れた中にあって、周囲の騎士と同じく甲冑に身を包んだエルゼリンデは緊張した面持ちを隠そうともしなかった。
 騎士団に入ってからひと月。とうとう出陣の日が来たのだ。
 体に溜った緊張を逃がすように、ため息を吐き出す。
 このひと月、色々なことがあった。王弟殿下との遭遇、ザイオンとの出会い、厳しい仕打ちや無愛想ながら手を差し伸べてくれたエレンカーク隊長のこと、そして得体の知れないセルリアンや、どうにも隔たりがある従騎士ナスカのこと……などなど。
 エルゼリンデはちらりと横手を見た。そこには、数日前に彼女付の従騎士となったばかりの青年が、相変わらずの無表情で控えている。
 ナスカとは、いまだに打ち解けられずにいた。それどころか、彼女のほうにも変な遠慮が働いてしまって、日を追うごとにどんどん溝は深くなるばかり。
「ウマが合わない人間だっているし、貴族嫌いな平民かもしれないんだし、たまたまミルファークの従騎士がそのどっちかだったってだけだろ。あんま気にしないで、従騎士として扱ってりゃいいんじゃねえの?」
 とは、ナスカのことを話したときのザイオンの意見だ。確かにそうなのかもしれない。だけど、とエルゼリンデは考える。ナスカが悪い人間だとは、どうしても思えないのだ。それなりに長い付き合いになるのだから仲良くしたいし、全ての貴族を嫌いになってほしくない。エルゼリンデが、ガージャールたちの件があるとはいえ平民を嫌いじゃないのと同じように。
 再び鳴り響いたラッパの音に、目の前の現実へ引き戻される。
 今は悩んでる場合ではない。エルゼリンデは唇を噛んで、表情をきりっと引き締めた。
 騎士団が王都を出発するときは、列を成して王宮の城門を出、市街地を縦断する大通りを進むのが慣例である。帰途も同様で、エルゼリンデも子供の頃何度かそれを遠目にしたことがある。それがまさか、自分が見られる側に回ろうとは――ほんの少し前までは思いもしなかった。
 歓声が聞こえてくる。前方の列が進みはじめたのだ。
 今回のネフカリア遠征へは、王都駐在の騎士団のうち第一から第四までが出陣するとのことで、これはかなりの規模になる。とはいえ今ここに集まっている兵士はその半分にも満たない。すでに先発した隊と、後発する隊と。エルゼリンデの属するレオホルト隊が振り分けられたのは、ちょうど王弟殿下率いる本隊だったというわけである。ちなみにエレンカーク隊も同じで、そのことにエルゼリンデは大いにほっとしていた。
 隊列の先頭を切るのは、もちろんライツェンヴァルト王国軍の最高司令官たるアスタール王弟殿下。そのあとに有力諸将が続き、将兵が連なるという並びとなっている。
 市街地に入っていくにつれ、騎士団見たさに集まった市民の視線と声援が大きくなる。
 凄い人出だと、馬上のエルゼリンデは驚きをあらわにしていた。この前、北辺の守備に当たっている第九騎士団が王都に帰還した時もここまで騒ぎにはならなかった。
 やはりこれは、王弟殿下が出陣するからなんだろう。
 アスタール殿下の人気は計り知れないものがある。13年前の「北辺の災禍」に際して、北方の遊牧騎馬民族の王都侵入を水際で食い止めた中心人物となったのが、当時まだ少年だったアスタール殿下なのだ。しかもそれが初陣だったのだから、まさに恐るべき才と言うほかない。
 それ以来、およそ10年前の西方諸国連合との戦いや盗賊の討伐、反乱の鎮圧で輝かしい武功を挙げている。ゆえに常勝将軍との異名を取り、「アスタール殿下が出る戦いに負けはなし」と広く信頼されてもいた。さらに容姿も優れているときたら、人気が出ないほうがおかしい。
 でも、ちょっと変な人だったけど。ひと月前を思い返しながら、エルゼリンデは心の中でそんな感想を付け加える。変と言うか、やや不可解な態度を取られた感じである。図星もつかれてしまったし。だが、向こうは王族、雲の上の人間だ。王宮にも滅多に上れない零細貴族のことなどとっくに忘れてしまっているだろう。そう考えれば、女だと疑われたことに関してもあまり心配することはなく、気が楽になる。
 隊列が王都ユーズの市壁に近づくにつれ、エルゼリンデはそわそわしはじめた。
 ――父さんと兄さんは見に来てるかな。
 数日前に届いた手紙には、兄ミルファークの病気は良くなり、外にも出れるようになったとあってほっとしたが、さすがにこの人ごみでは父と兄の姿を捜すこともままならない。
 それにしても、我が家が近くにあるのに、しばらく戻って来れないなんて。それも、確実に帰れる保証なんてない。
 途端に家が恋しくなり、不覚にも目頭が少し熱くなってくる。
 エルゼリンデは誰にも気づかれないよう、こっそりと深呼吸をして気持ちを静める。大丈夫、生き残って必ず帰ってくるから――そう、自分に強く言い聞かせながら。




 市門を通り抜けると、一面の平原が待っていた。緑の大地は朝日を浴びて金色に輝き、遠くには田園地帯が広がっている。さらにその北向こうには緩やかな山裾の影。
 今回の遠征は東のネフカリア地方なので、幸いにも山越えをしなくてすむ。
 軍隊の進む経路は、街道を通ってひたすら東を目指す。ネフカリアへの入り口であり東辺守備の要、第十騎士団の拠点となっているゼーランディア城にたどり着くまでに、道中五つの城塞があり、そこへ立ち寄る以外は基本的に野営である。ゼーランディア城までは、順調に行けばおよそふた月半。決して短い道程ではない。
 ゼーランディアを目指すのは、軍隊だけではなかった。街道沿いには運搬用の家畜を引く農民や隊商の姿が目立つ。彼らはいずれも戦争に必要な物資を運んでいるのだ。戦争には人的資源以外にも、物的資源を多く消費する。ゆえに大掛かりな遠征であればあるほど、その地に向かう物資も増大するのだ。
 そのほかにも、各地から徴兵された人々が軍隊の後を追いかけて、あるいはゼーランディア城を目指して集結しているのだろう。
 行軍初日は天候にも恵まれ、予定通りの地点での野営となった。
 野営には先遣隊が使用した場所をそのまま引き継いだので、あらかた整備はされている。
 騎士や兵士たちは各自馬を降り甲冑を外し、悠々と寛いでいる。その中でエルゼリンデはひとり、緊張の只中にあった。
 彼女にとって、野営は初めての経験だ。果たしてこれまで同様に、女であることを隠し通せるのか。何しろ常に周囲に誰かしらいる。これまでは訓練や食事の時を除いては、部屋ではザイオンと二人だし、ひとりで行動していても特に違和感はなかった。それでも、人前で服を脱がないことを薄々不審がられている節があったのだ。こういう場で、誤魔化しながら乗り切れるだろうか。
 ――トイレとか、お風呂とかも困るだろうなあ。そもそも野営中の入浴は無理だけど。
 そう憂慮するエルゼリンデの目の前には、上半身裸で体を拭いている男たちがいる。エルゼリンデだって年頃の、それも一応は、あくまでも一応だけども貴族の令嬢。騎士団に来たばかりの頃は初めて見る男の裸に、それはもう見るも無残なほどに狼狽しきりだった。ところが三日と経たずに何とも思わなくなるのだから、慣れとは不思議なものだ。
 あまり過敏にならないほうが安全かもしれない。エルゼリンデはすぐさまその結論に行き着いた。周囲の目を気にすれば気にするほど、かえって目立つことになりかねない。だったら普段と同じようにしていたほうがいいのかも。
 それに、セルリアンだって似たようなものだ。彼も人前で肌をさらすことはない。貴族の中にはそれを厭う者も多いようだと、遠征前にザイオンがそんなことを話してくれた。
 エルゼリンデは何気なく、少し離れた場所にいるセルリアンを一瞥した。
 あの頬にキス事件以来、エルゼリンデがひとりになっていることが少ないからか、直接の接触はない。が、たまに妖しげな視線や笑顔を投げかけられる。
 好かれているのか、嫌われているのか。彼ほどそれが明瞭でない人物に会ったことはない……多分、好かれていないと思うけど。


「ミルファーク様」
 ぼんやりと思案に耽っていたところへ、冷静な声が乱入する。エルゼリンデは思わず腰を浮かしかけてしまった。
「は、はいっ!?」
 慌てて首をめぐらせた先には、ナスカの冷たい顔がある。
「お食事は?」
 短く問いかけられて周りを見回すと、ちらほら食事を取っている者が目に入った。
「あ、そうですね」
 まだ驚きが覚めやらないまま肯くと、従騎士はまたしても眉を顰める。
「ミルファーク様、私などに敬語は不要です。そのような態度を取られてしまうと、逆にこちらがやりにくくなりますので、どうかお止めください」
 口調こそ丁寧だが、内容は身も蓋もない。エルゼリンデは藍色の双眸を数回瞬かせてから、「ごめんなさい」と言うため口を開きかけ。
「謝罪も不要です」
 先手を打たれてしまい、彼女はむなしく唇を閉ざした。
 エルゼリンデとしては、ナスカのほうが年上だし、それに従騎士といえど自分よりも断然風格が備わっている。だから何となく敬語を使っていたのだが、下の者からはそう思われてしまうんだろうか。
 意気消沈したエルゼリンデへ、ナスカは無表情で用意した食事を渡す。そして彼女の隣に座り、自分も干し肉を齧り始めた。
 ナスカの不可解なところは、明らかに彼女を避けているのに、常に傍に控えていることだ。食事時ぐらい従騎士仲間と食べればいいものを、なぜかこうしてすぐ近くで食べる。それに彼女の行くところにもついて来ることが多い。
 そんなに頼りないのかな。その考えに至って、我知らず肩を落としたところへ、見慣れた人物がやって来た。
「よう、もう夕食か?」
「ザイオン」
 陽気な笑顔を見せるザイオンの登場に、食事とともに気まずい空気を味わっていたエルゼリンデはほっとしていた。彼女の前に腰を下ろしたザイオンの目は、すぐナスカを捉えた。
「そっちがミルファークの従騎士?」
「……ナスカ・アルヴェーゼンと申します」
 ザイオンの視線を受けて、ナスカは食事の手を止めて深く頭を下げる。
「へえ、なかなか頼りになりそうじゃん。オレはザイオン・ヴァン・ホープレスク。よろしく」
 気さくに名乗り、いつかエルゼリンデにしたように、右手を差し出す。しかしナスカはもう一度深々と一礼しただけで、何と握手を拒絶したのである。これにはエルゼリンデもぎょっとした。従騎士が騎士、それも貴族に対して礼を欠くなど、この場で首を切られてもおかしくない不敬行為だからだ。
 エルゼリンデの心配をよそに、ザイオンは軽く肩を竦めて手を引っ込めただけだった。ザイオンが寛容でよかった、と胸を撫で下ろす。
 彼はそのままエルゼリンデに視線を移した。
「お前も大変だな」
 とその目が強く語っている。エルゼリンデは深いため息でそれに答えたのだった。

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