第76話

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 ふと、エルゼリンデはカルステンスの横顔に視線を向けた。こういう場面では必ず何か言ってきそうなのに、先ほどからずっと沈黙したままだ。
 カルステンスは、非常に珍しいことに、どこか上の空な表情でテーブルの一点を見つめていた。
「……カルステンスさん?」
 気遣わしげに呼びかけてみると、彼は軽く目を瞠った。
「――ああ、すまない。少しぼんやりしてしまったようだ」
「大丈夫ですか、お体が優れないのでしょうか?」
 俺とはえらい態度の違いじゃねえか、との声は聞かなかったことにしておく。
 カルステンスは白皙に苦笑を滲ませた。
「大丈夫だ。最近寒くなってきたことだし、疲れが出たのかもしれないな」
「疲れてんなら、昼寝でもしてきたほうがいいんじゃねえの」
 戦後処理なんて文官のお偉いさんにまかせときゃいいんだよ。ファルクはいつぞやのシュトフのようなことを言ってのける。
 友人の一言にカルステンスは僅かに視線を彷徨わせた。
「……そうだな、少しだけ休ませてもらうとしよう」
 静かな声音でそう告げて、席を立つ。エルゼリンデは彼を見上げた。
「あの、お大事になさってください」
 カルステンスは微笑でそれに応えると、足音もないくらい静かに彼らから離れていった。
 サロンから消えていく背中を見送りながら、何とはなしにため息が漏れる。
「……あんなに元気のないカルステンスさん、初めて見ました」
 シュトフがいなくなってしまったせいなのだろうか。そう呟くとファルクは広い肩を竦めた。
「そりゃそうだろうな」
「やっぱり仲が良かったんですね」
「いや、格別仲が良かったっつーわけじゃねえな」
「え、そうなんですか?」
 ファルクの発言は予想外だった。エルゼリンデは目を瞠って赤毛の騎士を正面から見つめる。
「あいつらとは付き合い長いけどよ、単なる仲良しじゃなくて、もっとこう、特別な感じだったな」
「特別……?」
「二人にしか分からない何かがある」
 あえて喩えるならそんな感じな。ファルクは樫のテーブルに頬杖をつきながら目を細めた。
「二人にしか分からない、ですか」
 仲がいいとも違うとは、どういう関係なんだろう。眉根を寄せて考えていると、ファルクは彼女の表情を別の意味に受け取ったようだった。
「あ、誤解すんな変な仲じゃねえぞ。シュトフの野郎はともかく、カルステンスには婚約者がいるしな」
「……はあ」
 こちらに身を乗り出してまで付言してくる意味が分からず、ぽかんとした顔で肯く。それからちょっと驚いたように目を瞬かせた。
「カルステンスさんには婚約者がいらっしゃるのですね」
 当然といえば当然かもしれない。彼も貴族だし騎士団内でもエリートだし、何より見目良いのだから。
「おお。巨乳でうらやましい」
「そ、そうですか」
「この遠征が終わったらいよいよ結婚するんじゃねえかと思ってたが、シュトフがあんなことになっちまったし、あの様子だと当分先延ばしかもな」
 エルゼリンデは目を伏せた。それほどまでに、シュトフの死はカルステンスの心に大きな影を落としているのだ。それが果たして隊長を失った自分と同じ感情なのかは分かりっこない。だけど、その影には少しだけ触れられる気がした。
「ま、辛気臭え話はここまでとしてよ」
 ファルクはおもむろに席を立った。
「話があるから場所変えんぞ」
「え? あ、ちょ、ちょっと」
 待ってください、という言葉をかける暇もない。周囲の貴族たちの視線をひしひしと感じながら、エルゼリンデはあたふたと彼の背中を追いかけた。


 彼の行き先は、中庭の開けた一角だった。ほんの4日前にナスカと最後に会ったのもこの中庭だった。その記憶が胸をちくりと刺す。
「話って何でしょうか」
 それを振り払うように、エルゼリンデのほうから声を上げる。
「訊きたいことがある」
 ファルクはやや抑えた声音で答え、彼女に真正面から向き合った。訊きたいことって何だろうか。エルゼリンデは眉をひそめる。
 赤毛の騎士はひとつ咳払いをした。
「あー、そのな。お前、年齢はいくつだ?」
「ね、年齢ですか? ……16ですけど」
 唐突な質問に驚きはしたものの、何とか兄の年齢を告げることができた。
「じゅうろくぅ!? お前そんな年だったのか!?」
 ファルクはぎょっとしてエルゼリンデを見下ろした。どういう意味で驚愕したのか、あえて考えないようにする。
「16か……まいったな」
 なぜか困ったように赤毛を片手でかき回すと、今度はこんなことを訊いてきた。
「じゃあ、出身はどこなんだ?」
「は?」
 またも思いもよらない質問に目を円くする。しかしファルクの表情は真剣そのものだ。
「出身、ですか? リートランドですけど」
「リートランド……知らねえな」
 それはそうだろう。自分で言うのも何だが、かなり辺鄙な田舎だ。
「王都の西のほうにある小さい領地なので、ご存じないのは無理もないかと」
「西ねえ」
 ファルクは苦い葉を噛んだ時のように顔を顰めた。どことなく様子がおかしいぞ。さすがのエルゼリンデもそれを察し、ますます眉根を寄せる。
「ちなみにお前の両親の出自は?」
「りょ、両親、ですか?」
 またまた斜め上の質問に面食らってしまう。何で出会って間もない人に家族のことを根掘り葉掘り問い詰められなければならないんだろう。さすがに不快感を覚え、彼女は唇を尖らせた。
「あの、この質問にはいったい何の意味があるんでしょうか?」
 自分のことならまだしも、家族のことまで訊かれるのはいい気分はしない。そう抗議するエルゼリンデに、ファルクは怒ると思いきや、逆に深々と肯いた。
「そうだよな、俺もこんな回りくどいやり方は好きじゃねえ」
 赤毛の親衛隊員は腕組みすると、常緑樹の色の双眸でエルゼリンデをひたと見据える。エルゼリンデにとっては居心地の悪い数秒の逡巡の後、彼はひときわ低い声でこう告げた。
「お前さ、……アスタール殿下の隠し子なんじゃねえのか?」

 目が点になる。

 ……とは今の自分のことだな。エルゼリンデは硬直したまま、頭の片隅でそんなことを考える。
 隠し子だって? えーとそれはつまり、自分と殿下が親子だということになるのか。
 …………。
「――!? かっかっかくしもがっ!」
「声がでけえ」
 ファルクはようやく硬直状態から脱した彼女の口を、図ったかのように片手で塞ぐ。
「もがっもごもごっ!」
 とりあえず手を外してほしい。エルゼリンデは言葉にならない声と動作でそれを訴える。長身のファルクは手も大きいから、顔半分がほぼ覆われてしまうのだ。つまり、息が苦しい。
「ああ、悪い」
 彼女の必死の訴えが通じ、息苦しさから解放される。新鮮な空気を吸い込んで呼吸を整えると、エルゼリンデは彼に反論すべく口を開いた。
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか。だいたい、私には兄……じゃなかった、一歳下の妹がいて、見た目そっくりなんですから!」
 自分たち兄妹は母親譲りの亜麻色の髪と、父親譲りの藍色の目をしている。どんな人でも、彼ら一家を見ればたいてい親子と分かるくらいだ。
「それに、本当に、その……お、親子だとすればもうちょっと美形に生まれてきてたはずです!」
「確かにそれもそうだな」
 半ばやけくそ気味に放った最後の言葉にあっさり同意されてしまった。誤解が解けたようで何よりだが、釈然としない気持ちになるのは何故だろう。
「まあ、年齢聞いた段階でその線はほぼ消えたけどな。歴代には12歳やそこらで父親になった王もいたが、いくら殿下といえどさすがに11歳ではねえよなあ……」
 ファルクは腫れた右頬に手を当てながら呟く。「赤ちゃんはどこからくるの?」「キャベツ畑から来るんだよ」という両親の教えを信じて疑っていないエルゼリンデからすれば、何が「ない」のかよく分からなかった。が、ともかく王弟殿下の隠し子という突拍子もない疑惑は晴れたようだ。
 混乱に動悸が早まった胸を撫で下ろしつつ、ふと首を傾げる。
「あの、どうして私が隠し子だって思ったんでしょうか?」
「あ? そりゃ決まってんだろうが。待遇だよ」
 当然の疑問に、ファルクはびしりと指を突きつけた。
「お前、あの有り得ねえ待遇に何も思わないわけ?」
 なるほど、確かにあの厚遇を鑑みれば、変な疑惑が湧いても不思議ではない。エルゼリンデはかぶりを振った。
「ま、まさか! 私も何で殿下やローゼンヴェルト閣下があんなに良くしてくださるのか、見当もつきません」
 懸命に否定しながらも、胸中でほっと胸を撫で下ろす自分がいたのも事実。何せ、殿下やローゼンヴェルト将軍はもちろん、イェルクや警備兵まで当たり前といった風で、彼女に警戒すらする様子は見られなかったのだから。だからこそ、彼女の置かれている状況を「おかしい、変だ」と指摘してくれる人間がいるのは、何とはなしに有難かった。
「やっぱりお前も分かってなかったか」
 ファルクはため息をひとつ。それから、思い直したように彼女を見下ろした。
「まあ、殿下と何の関係もないのがはっきりすりゃ、それで充分だ。これでお前に遠慮することもねえしな」
「? は、はあ」
 何だかさっきより距離が近い気がする。頭上にかかる影を感じたエルゼリンデが戸惑いを覗かせる。
 ファルクは目を眇めて、その両手をエルゼリンデの頬にそっと添わせ――

「――いひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!?」
 両の頬を思いっきり引っ張られ、エルゼリンデは悲鳴を上げた。ファルクは兇悪としか形容しようのない笑顔を見せる。
「おまえな、この馬鹿! あんな酒を一気飲みする馬鹿がどこにいるんだ! 下手すりゃ死んでたっておかしくねえんだぞこの馬鹿!」
 三回も馬鹿って言われた。
「ひゅ、ひゅみまひぇん」
 謝りたくとも口が上手く回らない。というか頬が痛い。とりあえず唐突にも感じるファルクの怒りの原因が、2日前の深夜の件にあることは明白だ。
「ごめんで済む問題じゃねえ! とにかく、お前はもう金輪際酒を飲むな絶対飲むな。わかったかこの馬鹿ガキが!」
「わ、わかりまひゅたっ、わかりまひゅたかりゃ」
 頬が痛くて目尻に涙が滲む。一喝して気が済んだのか、ファルクは彼女の頬から手を離した。
「ううっ、痛い」
 赤くなってるであろう頬を押さえ、涙声で呻く。ファルクはしれっとこう言い放った。
「痛み分けだ、我慢しろ」
 痛み分け? エルゼリンデは赤毛の騎士を見上げた。
「あ、もしかしてその顔の腫れは……」
 酒を渡したことが殿下あたりに露見して、殴られてしまったのだろうか。だとしたら自分のせいで申し訳ないことをしてしまった。顔を曇らせるエルゼリンデに対し、しかし彼はあっさり首を振った。
「いや、これはお前の隠し子疑惑を殿下に訊いてみたらローゼンヴェルト閣下に問答無用でぶん殴られた」
「かっ、関係ないじゃないですか!」
「そもそも、お前に酒を渡したことを追及されたのがきっかけだ。つまりお前が悪い」
 正々堂々と断言してくる。後ろ暗いところがないわけではないエルゼリンデは言葉を詰まらせてしまった。
 ファルクは話は終わり、と言わんばかりに背を向けた。
「まあ、お前見てえなクソガキに酒なんざ渡した俺も馬鹿だったな。次からはミルクにしておくぜ、お坊ちゃん」
 小ばかにした物言いにカチンときて、思わずその背中に向かって舌を出す。それから、まったく不本意ながら、エルゼリンデも彼の後を追って歩き始めた。ここで置いていかれても、迷子になるのは分かりきっていたので。

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