黄金色に沈む

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 青海が「死んだ」。
 それからひと月と経たないうちに、青海と同型の後継機がこの基地に配備された。

 聖は彼の姿を捜し歩いていた。
 窓外で照り映える日差しの熱とは対照的に、基地内は冷えていた。白く磨き上げられた壁や廊下が余計にそう感じさせているのかもしれない。
 時折すれ違う兵士からは奇異と、ほんの僅かな畏怖の視線が注がれる。だが聖は一顧だにしなかった。そういう類の感情を受けることに慣れる程度には、彼の稼働時間は長かった。
 南側の一角にさしかかった時、聖はようやく足を止めた。基地内とは思えぬ深閑とした空気が心地よい。ひとつ二酸化炭素のかたまりを吐き出してから、「D資料閲覧室」と刻まれた灰色のドアの前に立つ。ドアは音もなく開き、聖を招き入れた。
 窓枠の形に切り取られた青空が、まずその目に飛び込んでくる。目の覚める美しいスカイブルー。「抜けるような」とはこの空を表現している言葉なのだろう。聖は視覚情報からその形容詞を引っ張り出してきた。
 澄んだ青から少し視線を横にずらすと、彼の姿があった。
「和泉」
 窓の外を眺めるその背中に呼びかける。
 和泉はゆっくりと顔だけをこちらに向けた。いつもと変わらない、人好きする笑顔が覗く。
「久しぶり、聖」
 聖は横たわる長机の列をすり抜け、彼の隣に立った。
「さっきメンテから戻ってきたって聞いたから、てっきり司令部あたりにいるのかと思った。――どう、調子は?」
「ん、まあまあ快調」
 和泉は体を伸ばした。風をはらんだ亜麻色の髪に陽光の粒子がきらめく。彼の姿にも表情にも、傷の名残は感じられない。それに聖はひどく安堵した。どうしてだか、今日は胸の奥がいやにざわついている。制御系や伝達系は全て正常だから、自律系に何らかの異常が生じているのかもしれなかった。もっとも、自律系の異常を自らが特定することはできないのだけれども。
「そういう聖はどうなんだよ? 元気なさそうだけど」
「……メンテが必要かも」
 聖は顔を伏せた。黒く長い睫が目元に陰をつくる。和泉は軽く目を瞠って僚友の横顔を見つめ、次いで眉を顰めた。
「どうした、どっか負傷したのか?」
 違う、と聖がかぶりを振る。
「怪我するのは、多分一週間先だよ」
 彼は俯いたまま微かに笑ったが、すぐに夏の熱に溶けていった。代わりに空調の効いた室内と同じ、乾いた表情を浮かべる。
「――青海が『死んだ』の、聞いた?」
 数秒の沈黙を経て、和泉が口を開いた。
「本部からこっち戻って来て、すぐ。今日、同型が配属されたんだってな」
「青海と同じだった」
 体形も、顔の造作も、髪や瞳の色も、声紋パターンも。何もかも青海と同じだった。
「でも、違う」
 識別名が違う。言葉の発し方が違う。だけど、そんな上辺だけの差異ではなく――もっと根っこにある、彼の認識能力が及ばない部分で、違うのだ。
 和泉は俯く横顔に視線を留めたまま、軽く肩を竦めた。
「そりゃあ、違うのは当たり前じゃん? 同型って言ったって製造時期も、それどころか製造場所すら違ったりするし。聖たちの月讀型だってそうだろ? つうか、何で青海とその後継機が同じだなんて思ったんだよ」
「スペアって言われたから」
 聖は開け放たれた窓の縁を両手で握りしめていた。
 和泉が唇を引き結んだのを、気配だけで感じる。
「青海のスペアだって、伊波大佐が」
 瞼を下ろすと、最後に目にした青海の笑顔が「見えた気がした」。自律系の気まぐれな悪戯。
「僕たちは兵器だから、当たり前なんだけど」
 自嘲気味に口の片端を上げ、再び両目を開く。落とされた視線の先で、黄金色の波が揺蕩う。基地の一角を埋め尽くす向日葵畑。戦闘地帯の最前線に似つかわしくない風景は、前任の基地司令官が拵えたものだった。
「分かってるんだ。同じも違うもないなんてこと」
 第三類擬人式機動兵器群と、彼らは称される。型番や製造番号、識別名、外貌で個体が区別されるにしろ、本質は何ら変わらない。ただの兵器であり、あまた存在する人間の道具のひとつ。
 それなのに、声が震えるのはどうしてなのだろう。
「……どうして、僕らには自律機能なんてあるんだろうね」
 心ではない。あくまでシステム制御の一部でしかない。論理演算の集合体がもたらす必然的な発露。
 それは本来、自律的に行動することで人間の手を煩わせず、効率よく敵を殲滅するために必要だった。最初は光学系の探知機能と制御プログラムの組み合わせから。それが第二類、第三類と改良されるごとにより緻密な制御、感覚機能、そして――第三類の最大の特徴とも言える――人工知能が搭載され、人間に限りなく近い思考パターンや伝達能力を得るに至った。
 だがそれが、兵器たる彼らに必要だったのだろうか。
 確かに人間に近い複雑な思考や主体性、自律機能を獲得することで、戦場での実用性は飛躍的に向上した。しかし光がある場所には影もできるように、高度な知能は擬似的な感情や人格といった副産物も齎した。
 ゆえに、彼らの大部分は調整される。兵器であるのにも関わらず、「兵器たれ」という「意識」を隅々まで植えつけられるのだ。
 が、この国に配備されている第三類兵器群はその大部分に含まれていなかった。聖にしろ和泉にしろ未調整のまま――光と影を内包した状態のままだった。なぜ調整をしないのか、その理由は定かではない。人工知能の核の部分がこの国独自の技術によるため通常の調整を受けつけないこと、調整には少なからぬコストがかかることが、よく理由として挙げられる。いずれにしても、未調整のまま使用されている唯一の第三類兵器である事実に変わりはない。

 和泉は、何も言わなかった。
 聖もそれきり口を閉ざし、眼下に広がる黄金色の海を見つめていた。
 いっそ、敵国の仲間のように調整されていたら。聖は漆黒の目を眇めた。そうすれば、こんな思いに煩わされずに済んだのかもしれないのに。
 詮無いことを、と聖がかぶりを振りかけたその時、
「俺さ、基地の中でこの場所が一番好きなんだ」
 和泉の声が聞こえた。
「夏限定なんだけどな」
 彼が夏の間、よくこの窓から向日葵畑を眺めていることは聖も知っている。冬には東側の窓で夜空を、春と秋には西側の窓で海岸線の彼方に沈む太陽を。彼はいつも、四角く切り取られた枠の中の風景を熱心に見つめていた。
「……向日葵、好きだったんだ」
 聖が目線を向けると、少し低い位置にある和泉の赤味がかった褐色の双眸とかち合った。
「この畑さ」
 和泉はその顔に黄金色の輝きを閃かせる。
「昔、副島さんに頼んで造ってもらったんだ」
「造ってもらった? 副島中将に、和泉が頼んで?」
 思わず言葉を反復してしまった。目を円くする聖に、和泉はこともなげに肯いた。
「そう。ここ、前は廃材置き場だったんだけどさ。日当たりもいいし、このままにしとくの勿体ないと思って。副島さんに冗談半分で何か花でも植えませんかって提案したら、向日葵を植えてくれたんだ」
 まさか本当に実行してくれるなんてさ。もちろん俺も手伝ったけど。過去の思い出を語る和泉の表情は、本当に嬉しそうだった。そこに兵器の面影は一片も見当たらない。
「もう、15年も前になるんだよなあ」
 15年前。その時自分は何をしていただろうか。聖は記憶回路を辿った。工場内で、登録前の最終テスト中だった時だ。和泉はその時には既に実戦配備され、多くの武勲を挙げていた。世界初の第三類兵器、黎明型の次に設計された、ただ一体の暁型。そして、稼動から26年が経過した今も、世界最強の第三類兵器の座に在り続けている機体。
 和泉が再び窓の下を見晴るかす。
「……ここから見下ろしてるとさ、黄金色の海に沈んでいくみたいで、その感覚が一番好きなんだ」
 陽光を浴びて輝く黄色い花の向こう側に、何か別のものを見ているように、聖には感じられた。
「いつも戦場から還ってくる時は、ここに沈む気持ちになるんだ」
 聖も彼に倣って再び窓外に目を落とした。黄色の大輪には光の粒子が降り注ぎ、空の青とのコントラストが鮮やかだった。
「綺麗だね」
 知らず声に出して呟く。風が黒髪を撫ぜていく。
「うん。俺は、そう感じることができるだけでも、このままでよかったって思ってる」
 和泉の口調は穏やかだった。
「向日葵や星を見ることは、視覚情報から生成される画像データを読んでることに過ぎないわけで、みんな一律同じものを見てる。だけどその先の、向日葵を見た瞬間に聖が綺麗だと思ったり、俺が副島さんを思い出したりする感覚は、自分にしか分からない。そういう、『自分だけにしか分からない』何かが持てるだけでも、俺は幸運だと思うんだ」
 ただの兵器としてではない、自分が自分であることの証になると、和泉は続けた。
「それにさ、ちょっとくらい秘密があるほうが、ミステリアスでかっこいいじゃん?」
 茶目っ気たっぷりの笑顔で聖の顔を振り仰ぐ。聖はつられて頬を微かに緩めた。
「――うん、そうかも」
 青海はもういない。そのことを考えると胸の奥に冷たい染みが広がっていく感覚に襲われる。それは自己診断プログラムでも検知できず、バックアップを取ることもできない、今この瞬間の彼にしか分からない記憶なのだ。
 人間のまがいものでしかない感覚なのかもしれない。それでも良いと聖は思った。なぜならそれは自分が自分である証だけでなく、自分の中に確かに青海が存在していた証明でもあるのだから。

 見下ろした黄金色の世界は、海からの風に輝きを躍らせている。その眩しさに、聖はそっと目を細めた。


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