第26話

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 地図を見ると、フロヴィンシア城市は堅牢な城塞を中心として、だいたいひし形状に町が広がっている。ライツェンヴァルト王国の領土となるずっと前から、東西に延びる交易路の結節点として重要だった都市である。
 だからなのだろうか、街中には様々な色の髪と目と肌を持つ人々で溢れかえっている。
 活気と喧騒に包まれた西の市場を歩きながら、エルゼリンデは物珍しい視線を隠しもせずに、行き交う人間やロバなどの家畜、町並みを観察していた。隣を歩くザイオンの仕草も似たようなものだ。
「お前、あんまりよそ見しすぎて財布なんかすられんなよ」
 ……少しだけザイオンのほうがしっかりしているが。


 夜会から一夜明け、二人はフロヴィンシアの散策に来ていた。提案したのはザイオンで、エルゼリンデが意気消沈しているのを見かねてのことだろう。フロヴィンシアでの仕事のことは気がかりだったが、夜会の翌日にまともな仕事ができるはずもないというザイオンの言葉に納得し、朝も早くから街に繰り出した次第である。ちなみに両者とも、昨夜は早々に切り上げて睡眠は何とか確保した。エルゼリンデの場合、セルリアンと二人きりということに危機感をいだいていたのだが、幸いなことに深夜戻ってきたときも早朝に目覚めたときも、隣の寝台に彼の姿はなかった。
「やっぱ、王都とは全然雰囲気が違うんだな」
 ザイオンの言葉に、エルゼリンデは視線を四方八方に飛ばしたまま肯いた。
 色とりどりの光景に眠気も追いやられるほど。建物も石や煉瓦造りのもの、皮革で作られた天幕など多種多様。すれ違う人々は、よく見知った金髪碧眼のヴァルト人もいれば、浅黒い肌のアブハル人や黒髪に黄色味を帯びた肌の小柄な遊牧民、濃い色味の髪と目に彫りの深い顔立ちをしたオアシスの民もいる。当然、あちこちを飛び交う言語も、知っている言葉と聞いたこともない言葉が交互に耳に入ってくる。
 そして何より、物が多い。入隊前に王都最大の市場を訪ねたザイオンの話では、そことは比べ物にならないほど商品が溢れかえっているとのことだ。確かに肉類や青果類も質量ともに豊富だし、王都付近では目にすることのない東方の品物も数多い。
「馬具を買うならフロヴィンシアでって、シュトフさんが言ってたね」
 露店に並ぶ革製品を眺めながら、エルゼリンデが思い出したように呟く。ザイオンもそういえば、と頷いた。
「あー、そうだったな。ヴァルト人のよりも、遊牧民の作ったもんのほうが丈夫で使いやすいんだってな。レークト城で同室だったオッサンも、似たようなこと言ってたし」
 そこで自然と「じゃあ良いのがあったら買っていこう」という流れになり、二人はしばらく馬具の店を見て回った。やがてザイオンが一軒の店で足を止め、鞍を手に取り目を光らせる。エルゼリンデも隣に並び、横からそれを覗き込んだ。
「これ、良さそうだな」
 言い終るが早いか、店棚の奥から店主らしい中年の男がすっ飛んでくる。頭に白い布を巻いた丸顔の男は、茶色っぽい両目を上下させて年若い客の身なりを確認すると、にこやかな愛想笑いを浮かべた。
「これはこれは、騎士様がた。馬具をお探しですかな?」
 見るからにヴァルト人でない店主の口から出てきたのは、明快なヴァルト語だった。発音はやや間延びしている感じだが、意味はちゃんと理解できる。
「ウチの品物は上等ですぞ。何しろモザール人から直接買い付けたものですから」
「モザールの?」
 誇らしげな店主の言葉を聞きとがめ、二人は顔を見合わせる。モザール人は、まさにこれから戦争をする相手のことではないか。さすがに敵国の道具を使うのは気が引ける――そう、顔を顰めると。
「いやいや。モザールと言ってもこの近辺で遊牧している民であって、ネフカリアのモザールとは住んでる場所が違うのでご安心を」
 遠征のことを察したらしく、店主が間髪入れずに補足する。
「……はあ」
 そういうものだろうか。ザイオンもエルゼリンデも不明瞭な表情を崩さなかったが、とりあえず聞き流しておく。
「で、いかがですかな、そちらの鞍は?」
 店主になかば強引に話題を逸らされ、二人の視線が再びザイオンの手にする革の鞍に落とされる。ザイオンのはどうだか知らないが、エルゼリンデの場合、今使っているものよりはるかに上等だろう。
「おいくらですか?」
 まずは値段を訊いて、それから考えよう。イゼリア家にいたときから買い物慣れしているエルゼリンデはそんな算段を踏んだ。
「ウチは品質のいい商品を安値で提供するのがモットーですからね。フロヴィンシア銀で5枚、こんなところですかな」
「銀5枚!?」
 訊ねた本人のみならず、ザイオンも目を瞠り、頓狂な声をあげる。フロヴィンシア銀5枚と言ったら、王都では良質なぶどう酒が5瓶ほど買える値段だ。
 ちなみに二人とも、仕事をこなしているため給金は貰っている。しかしその額は決して多いとは言えない。銀貨5枚なんて、今所持している有り金をすっかりはたいてしまう値段なのだ。
「まあ、騎士様ともなればこれくらいの馬具は持っていませんとねえ。それに頑丈ですから長持ちしますよ。そう考えるとお得でしょう?」
 店主は寸分乱れぬ愛想笑いで二人の背中をぐいぐいと押してくる。
「……も、もう少し安くなりませんか?」
 鞍と店主の顔を見比べたエルゼリンデの口から、自ずとそんな台詞が出てくる。するとたちまち店主は鼻白んだ。
「おや、騎士様とあろうお方が値切りなんて庶民と同じ行動を取ってよいものなんですかね?」
 足元を見た物言いに、二人は閉口した。騎士の中にも商売に手を広げている者はいると聞くが、それでもライツェンヴァルトの伝統たる騎士の体面を重んじる者は多い。店主はそのあたりの心理を巧妙に突いてきているのだ。
「言っておくけど、ここいらじゃあ、この鞍にこの値は破格なほうだよ。よそへ行ってごらん、ヴァルト人の騎士なんかぼったくりのいいカモだからね、高い金払って安物つかまされるのが関の山さ」
 何だか店主の口調が若干乱雑になってきている。二人が黙ったままでいるのをいいことに、店主はさらに早口でまくし立てる。
「そのくせ、詐欺に遭ったら遭ったでお上を頼ってうちらみたいな善良な商人にまで言いがかりをつけてくるのさ。まったくヴァルト人ときたら自分の見る目のなさを棚に上げて偉そうに。そのくせ取るもんはしっかり取るんだからね、どうしようもないよ」
「……」
 もはや愚痴以外の何物でもない。エルゼリンデもザイオンもすっかり気圧されて立ち尽くすのみ。
「で、結局どうするんだい?」
 言うだけ言って気が済んだのか、店主が再び営業を始める。そこでようやくエルゼリンデは我に返った。
 さて、どうしようか。彼女は金額を聞き、さらに値切れないという時点で購買意欲を失くしているのだが、ザイオンはどうなのだろう。そう思ってちらりと隣を見やると、彼は鞍を手にしたまま、いまだ閉口していた。しかも珍しいことに、どこか途方に暮れているようにも見える。
「さあ、買うのか買わないのかさっさと決めておくれ」
「……えーっと、今回はやめておきます。お邪魔しました」
 エルゼリンデは同僚の手から鞍を取って店棚に戻すと、ぺこりとお辞儀をする。そして「まったく、ケチな騎士の坊やだね」との不機嫌な声を背に、ザイオンを引っ張るようにしてそそくさと退散したのだった。


「……凄いオッサンだったな」
 ザイオンが口を開いたのは、馬具の店をしばらく離れてからだった。
「うーん、そうだけど。でもフロヴィンシアの商人だったらあれくらい普通なのかも」
 イゼリア家の近所の店は顔なじみということもあって皆親切にしてくれたが、たまに開かれる市に行くと、さっきの店主のような威勢のよすぎる商人は結構よく見かける。特に東からやってくる商人などは、品質はいいけど口は悪い、とよく陰口を叩かれていたものだ。
 それを話すと、ザイオンは軽く瞠目した。
「ミルファークは買い物とか、しょっちゅうしてたのか?」
「え? ザイオンはないの?」
 意外な言葉を耳にして、逆にエルゼリンデのほうが驚いてしまった。
「そりゃあ、領地住まいだしさ。まあ、たまに町に行って店をひやかすことはあったけど、そこでも支払いは従者任せだったからなあ」
 頬をかきながらちょっと気まずげにぼやくザイオンを、エルゼリンデは藍色の目を円くして凝視する。気取ったところがないし言葉遣いもくだけているが、やっぱり貴族の令息なのだ。そういう自分も、一応貴族の令嬢であるはずなのだけれど。
「にしても、買い物はヴァルト人の店で済ませたほうが無難かもな」
 ザイオンはすっかりフロヴィンシアの勢いに呑まれてしまったらしい。しかし彼の言葉に、エルゼリンデはかぶりを振った。
「でも、そういうふうに考える人って他にもたくさんいるだろうから、下手するとヴァルト人の商人にも足元見られて高く売りつけられそうじゃない?」
「そういうもんか?」
 ザイオンは納得いかない口調だったが、エルゼリンデはそういうものだときっぱり断言する。それから不意に自分の姿を見下ろした。
「それに、騎士服を着てるのも良くないのかも」
 騎士だから金を持っているように見られて、高値を吹っかけられるのだろうし。普段着だったらもうちょっと上手く買い物できそうな気がする。
「こんなにお店があるんだから、安くていい店だって、きっと探せばあるはず!」
 どのみち下着を含む衣類などの日用品も買い足さなければならないのだ。それに、フロヴィンシアの美味しい食べ物だって食べてみたい。
 いかにお金をかけずに効率よく買い物できるか――幼少から培われた節約魂がにわかに燃え始める。エルゼリンデはあさっての方向を見つめてぐっと拳を握り締めた。
「……なんつーか、お前、急に生き生きとしてきたな……」
 一人取り残されたザイオンは、黄土色の目を半眼にして呟く。その声に、昼を告げる鐘の音が重なった。

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