第31話

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 フロヴィンシアの北側は、何もかもが繁密な西側と比べてゆったりと感じられる。とは言うものの、市門へと繋がる大通りを歩く人の数は結構多い。
「どうやらやってるみたいだな」
 ギルベルト・シュトフは通りの先を見晴るかした。つられてエルゼリンデもそちらに目をやると、白や赤や紫、緑に黄色など色とりどりの天幕が視界を彩る。
 色々なことがありすぎた日から、はや3日。反動なのだろうか、それからは何事もなく、時間は穏やかに流れていた。
 シュトフと北の市街地に出かけたのは、そんな日々のさなかである。
「馬具を買うのに西の市場へ行った? そりゃ駄目だな、ぼったくられるだけだぞ」
 昨日ばったり遭遇したシュトフは、エルゼリンデから馬具を買い求めたときの話を聞くと、腕を組んでもっともらしく頷いた。
 何でも、フロヴィンシアの市場といっても千差万別、どの場所で何の商品を扱うかはかなり細かく分化しているのだという。馬具を買うなら北の市に行くのが賢明な選択だと教えてくれた。そのあとで、シュトフは真剣に耳を傾けるエルゼリンデに向かってこう続けた。
「よし、それじゃあ可愛い将来の弟子のために、俺が一肌脱いでやろう」
 ということで、今朝さっそく彼の案内で北の市場を訪れたのだった。
「にしても、どうして馬具はここの市がいいんですか?」
 物珍しそうに左右の出店を眺めながら、ともに来ていたザイオンが問う。
「フロヴィンシアの北門は遊牧民の夏営地に近くて、よく品物を持ち込んだりするからだな。商人を通さず直接買えるだけあって、かなりお手頃価格で買い物できる穴場なんだぞ」
「お手頃価格で」
 最後の一言に目を輝かせたのは、エルゼリンデのほうである。
「ああ。もちろん金がなくても物々交換でも買えるしな。ただ安いぶん面倒も多いから、初心者にはちと大変だ」
 そんな会話を交わしているうち、3人は市場の中心付近へと迫っていた。あちこちに溢れる商品は馬具製品のみならず動物のなめし皮や乳製品、馬や羊、ヤギ、騾馬といった家畜まであって、意外に多種多様だ。
 シュトフは慣れた様子で露店や店棚に並ぶ品をあれこれ見定め、時折店主らしき遊牧民と現地語で二言三言交わしている。そして数軒目で彼の目に適う商品に遭遇したらしく、さっそく店主と交渉を行うと二人の後輩のぶんまでてきぱきと買い物を済ませてしまった。
 シュトフの鮮やかな買い物っぷりに、エルゼリンデは目を円くしてシュトフの横顔を凝視した。
「シュトフさんは、フロヴィンシアの言葉が分かるんですね」
 彼が買ってくれた品物を受け取りながら感嘆の声を漏らす。
「俺はこう見えてこの道長いしな」
 当然と言わんばかりの顔で、シュトフが肯く。ザイオンは、この前の経験から買い物に対して妙な苦手意識を持ってしまったらしく、エルゼリンデ以上に「すげえ」と感心しきりだ。
「でも上には上がいるからな」
「上ですか?」
 シュトフはちょっと眉を顰めた。
「ああ。カルステンスの奴の値切り術は凄まじいぞ」
 この場にいない彼の同僚の名が挙がって、エルゼリンデとザイオンは同時に目を瞠ってしまった。
「カルステンスさんが? とてもそんな感じには見えないけどなあ」
 エルゼリンデもまったく同感であった。ところがシュトフは大げさに黒髪を振り、二人の言を否定してくる。
「いやいや、それは大いなる誤解ってやつだ。あいつはケチケチ王子って二つ名で、うちの団じゃ超有名だぞ」
「ケチケチ王子……」
 カルステンスのどこか冷たく端整な雰囲気に似つかわしくないあだ名を知って、エルゼリンデは笑いをこらえるのに必死だった。ふと隣を見ると、ザイオンも似たり寄ったりである。
 まさに水を得た魚。シュトフの同僚に対する悪口は、北の市場を離れるまで延々と続いたのだった。


 シュトフの口と足が止まったのは、昼食でも食べようと西の市場を目指していたときのこと。
「うげ」
 見たくもないものを見てしまった、と全身で表現しつつ、シュトフは右のほうへ顔を向ける。エルゼリンデとザイオンも、顔を見合わせてから先輩の行為に倣った。
 視線の先には、茶と軽食を提供する露店がある。いくつか置かれたテーブルに見知った顔を発見して、ようやくシュトフが立ち止まった理由を察した。そこにいたのは先ほどまで話題に上っていたシュトフの同僚、アルツール・ヴァン・カルステンスが座っていたのだ。さらに、知らない男も一緒である。身なりからして身分のありそうな騎士だということは分かるのだが。
「また無駄遣いか、シュトフ」
 その騎士は軽く片手を挙げて呼びかけると、立ち竦んだままの彼らに手招きした。二人の後輩を目で促し、シュトフは渋々そちらへと足を向ける。
「そっちこそ野郎二人で茶を飲んでて空しくならないんですかね」
 シュトフは嫌味ったらしく言い返したが、しかし騎士の琥珀色の双眸は違う人物を映した――すなわち、エルゼリンデを。驚いたことに、その男はどういうわけだか、エルゼリンデの顔を見るなり瞠目してしまったのだ。
 知らない男、それもこれまた見目良い騎士に見つめられるのは心臓に良いことではない。変な居た堪れなさが全身を駆け巡ったとき、騎士が口を開いた。
「君には、どこかで会ったことがなかったかな?」
「……はい?」
 予期せぬことを訊ねられ、口をぽかんと開けた彼女は思わず礼を失して訊き返していた。
 会った? 自分がこの立派そうな騎士と、どこかで?
 男の顔をもう一度見直してみる。年の頃は20代半ば、琥珀色の髪と瞳、すっと通った鼻筋の、穏やかそうな美形。エルゼリンデは必死に記憶の糸を手繰っていったが、思い当たる節は見つからなかった。
 それを告げようと言葉をひねり出そうとしたエルゼリンデだったが、それよりもさっさと空いている椅子に腰かけたシュトフが横槍を入れるほうが早かった。
「いやいやいや。ローゼンヴェルト将軍、こいつは確かに女に見えますが、普通に男ですから。ま、それでも口説くというなら止めませんけどね」
「閣下はそっちの嗜好がおありだったんですか」
 カルステンスも平生と変わらぬ無表情でシュトフに追従する。
「……別にそういうつもりで言ったわけではない。いや、ただよく似た人物を知っていたからね……どうやら人違いだったようだけど」
 ローゼンヴェルトと呼ばれた将軍は、憮然とした面持ちでややわざとらしく咳払いをする。
「さあ、君たちもそんなところに立っていないで座るといい」
「は、はい!」
 席を勧められて真っ先に張り詰めた声をあげたのはザイオンである。彼は将軍の目の前に立つと、きびきびと騎士の礼を施した。
「エーリヒ・ヴァン・ホープレスク男爵の嫡子、ザイオン・ヴァン・ホープレスクと申します。今回は領地シュヴァルツから王国のために馳せ参じまして、戦列に加わらせていただいております。以後お見知りおきを」
 ザイオンのいつになく丁寧な物言いと緊張を隠さない態度で、将軍の中でもかなり偉い人だという予想はついた。ぼけっとしている場合ではない。エルゼリンデも慌ててザイオンの真似をして騎士の礼を送る。
「いや、そんなに畏まらなくてもいい」
 カチンコチンになっているザイオンを見やり、ローゼンヴェルト将軍は苦笑した。
「そうそう、その必要はないぞ、ザイオン。地位はともかく、別にそこまで大した人格者じゃないからさ」
「なんせ初対面の少年を口説くぐらいだからな」
「……」
 黒翼騎士団員二人はこの将軍に辛辣だった。仮にも将軍に対してここまで言うことができるなんて、無礼なのか肝が据わってるのか。エルゼリンデはある意味感服し、一方ザイオンは明らかに彼らのやりとりを目の当たりにしてハラハラしていた。
「……君たちはもっと性格と素行と言葉遣いが良かったら騎士の模範になれるんだろうがな」
 当の将軍は怒ることも窘めることもなく、ただ諦めの嘆息を漏らしただけである。
「模範になんかなる気は更々ないからいいんですけどね」
「お前の場合は反面教師だしな」
 茶を啜りながら、カルステンスが冷静に指摘する。シュトフは同僚をじろりと睨みつけた。
「うるせえ。で、二人とも仕事サボってこんなとこで何やってんですか?」
「君にだけは言われたくない台詞だな。ここへ来たのは任務のためだ」
「任務?」
 鸚鵡返しに訊ねるシュトフに、ローゼンヴェルトは呆れ気味に肩を竦めた。
「我らが団長が、シェザイア殿と行方をくらませてしまってね。それでこうして捜しに来たと言うわけだ」
「なるほど。その割には、まったくやる気が見えませんけどね」
「当然だろう」
 将軍はまったく悪びれた様子もなく肯く。
「こんな広い街中を、どこにいるのか見当もつかない相手をあてどなく捜し回るのは徒労と言うものだ。それに、偶の息抜きぐらい大目に見てさしあげてもいいだろう」
「まあ、確かにそれは思いますね」
 珍しく、シュトフが心底同情したように応じた。
「こうるさいお偉方や言うこと聞かない将軍やらの相手も大変でしょうからね。そうでなくても遠征が決まってから、色々と腹に据えかねることが多かったって言うことですし」
「フロヴィンシア総督は理解のある方だから、それだけが不幸中の幸いでしょう」
 カルステンスも話に加わってくる。ザイオンは口をはさまないにしろ、いやに神妙な顔つきをしている。エルゼリンデだけ、年長の騎士たちが何を話しているのかまったく把握できず、半分以上ぼけっとしていた。
「……ミルファーク。念のため言っとくけど、マウリッツ・ヴァン・ローゼンヴェルト将軍は黒翼騎士団の副団長で、アスタール殿下の腹心だぞ」
 見かねたのか、隣に座るザイオンがそっと耳打ちする。そんな凄い人だったのか、とエルゼリンデは目を見開いた。つまり、彼らが捜しているのは王弟殿下ということらしい。
「理解のあると言うよりは、明らかに期待していると言ったところだろう」
 カルステンスの語を受けて、ローゼンヴェルトが苦い笑みを口元に刻む。
「フロヴィンシアに王族、つまり殿下を派遣することをもっとも強く推していたのもほかならぬ総督自身だったしな。もっとも、殿下がお受けすることはあり得ないだろうが。大公と呼ばれることさえ厭うようなお方だ」
 ふうんと呟き、シュトフは出された茶を口に含んだ。
「そんなに陛下に遠慮するもんなんですかねえ」
 俺にはさっぱり分かりませんね。黒髪の騎士は眉根を寄せて首を傾げる。
「そりゃあ、無遠慮の塊からみたら、おおかたの人間はお前の理解の範疇にないだろうさ」
 どんな場面でもシュトフの揚げ足を取ることは欠かさないカルステンスである。
「殿下も色々とお考えがあるんだろう……いまだに結婚なさらないのも、一人の女に縛られたくないと言う理由が本心からのものだとは限らない」
 三人の騎士の間で交わされる、雑談と括れぬ深刻な会話を黙って聞いていたエルゼリンデの胸に、ひとつの疑問が生まれた。
「あの、もしかして王弟殿下と陛下は、仲が良くないんですか?」
 何気なくそれを訊ねてみると、ザイオンのみならずカルステンスまでぎょっとして彼女に視線を向けてくる。シュトフだけは、「ずばりいいとこ突いて来るなあ」と感心していたが。
「決して、仲が悪いわけではないよ」
 王弟殿下の腹心は少し困ったような笑顔で答えた。
「私は古くから殿下にお仕えしているが、昔は本当に仲の良いご兄弟だった」
「考えてもみろ、ミルファーク」
 そこへ、偉そうな口調で割り込んできたのはシュトフだった。
「自分より出来が良くて人気もある弟がいたら、兄としてはあんまりいい気はしないだろ」
「はあ……」
 エルゼリンデは何となく納得は言ったものの、いまひとつ心情は分からなかった。エルゼリンデにも兄はいるが、なにぶん妹の自分は出来が良くないからかもしれない。
 ともあれ、殿下は本当に大変なんだな。いつかレークト城で見た、苦悩の影を落とした横顔を思い出して、エルゼリンデはため息を漏らした。

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